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はじめてArcticMonkeysを観た@London-O2Arena

Arctic Monkeysを観てきました。
彼らのデビューは2005年。デビューと共にスターダムを上り詰め、2012年ロンドン五輪では開会式でもプレイ。
2013年の『AM』リリースから後はグループとしての活動を殆どしていませんでしたが2018年遂に復活。デビュー当時の荒削りさはまるで消え去ってしまった最新作に困惑したファンも多いようですが、それでも”ArcticMonkeys”は健在。
「こんなにカッコいいバンドを「国民的バンド」と呼べるイギリス人が羨ましい」が今回のライブを通じての一番の感想です。
もう少し噛み砕いて感じたことを3点にまとめますが、素人目ですので寛大な心でお読み頂ければ幸いです。

ベースが主役のバンド

ライブを観て一番に思ったのは、彼らがベースが主役のバンドだなということ。
スタジオ音源を聴くとボーカル、アレックス・ターナーの声色が何より印象に残りますが、ライブで耳にした楽曲たちの印象はまるで別。

もちろんボーカルの存在感は大きいですが、耳に残るのは圧倒的にベースのサウンド。
音源でもベースの存在感が立っているフレーズは幾つもありますが、思っていた以上に楽曲の中でのベースの役割が大きかったんだなと再確認しました。

ボーカルを殺さず、それでいて自己主張が強く、耳に(いい意味で)ねっとりとこびり付くようなベースライン。

音源では体感することのできない音を全身で感じることが出来たので、これだけでもこのライブ大満足です。

キラーチューンの破壊力

このライブは、バンドの持つ「キラーチューン」の重要性を強く実感するいい機会でもありました。

「キラーチューン」とは読んで字の如しで、必殺の一撃とでも言えるような、その一曲で会場の雰囲気をガラッと変えてしまうようなバンドにとって強力な武器になる楽曲。

ライブは”Four Out Of Five”のPVに現れるアラート音で幕を開け、しっとりと”Star Treatment”からスタート。
そして楽曲が終わると一瞬の沈黙を置き、ズタズタズタズタと”Brianstorm”のドラムが始まり、照明もパァっと煌びやかに。

“Star Treatment”に惹き込まれて次の曲やこの先のライブの展開の事なんぞは頭の片隅にもなかったので、まるで突然雷が落ちたような衝撃。

フロアの反応も似たようなもので、あちらこちらでビールの入ったカップが宙を舞います。
自分の中の高揚感が会場全体が感じている高揚感と共鳴して、ライブへの没入感が一気に高まった瞬間でした。

セットリスト全体を通して緩急のつけ方が上手く新旧Arctic Monkeysの楽曲がそれぞれ効果的にライブ全体を彩っていましたが、この”Star Treatment”→”Brianstorm”の繋ぎでは特に、キラーチューンがライブの中で持つ役割の大きさを強く感じることが出来ました。

練熟した”青年の楽曲”たち

デビューから12年が経っているとなれば半ば当然ではありますが、バンドの円熟とそれに伴った楽曲の成熟をライブ全体を通して強く感じることが出来ました。

どの楽曲ももちろん骨組みは変わっていないわけですが、それでいて「最近のリリース楽曲?」と思わせる成熟感があるんです。

楽器がタメ気味のプレイをしていることで安定感や円熟感を覚えるのかなとは思うんですが、アレンジも少しずつ音源とは変わっていて、とても良い色に。

あとはそれぞれのメンバーが、パフォーマンスにしろ音にしろ、自分を大きく見せる術を知っているなとも感じました。

もちろん音響的にボリュームの限界はあるわけですが、音の差し引きや奏法、音の作り方でその限界までボリュームを引き出す(というかボリュームを感じさせる)音の出し方をしているなと。

端的に言ってしまえば音圧の話なわけですが、何というか、単純な音圧とも違う尺度で、音が纏まっている気がしました。言語化出来ない、何か。

全体を通して

何だか取り留めのない内容になってしまいましたが、特にライブを通じて感じたことは上記の3点。

若く勢いのあった楽曲たちも、キャリアを積むと共にチューンアップされてより一層魅力的に仕上がっていました。

また日本でも観たいけれど、オーディエンスの反応も全く違うだろうし、何となく不安でもあったりします。

もしも最後まで読んで頂けた方がいたようでしたら、ありがとうございました。
大した記事で無く申し訳ないです。。

全曲披露をどんな形でも固辞すべき。~ベター解に成り下がったBD開催の意義~

デビュー以来毎年開催されてきた乃木坂46のバースデーライブ(以下BD)。
過去5回は伝説の3rdBDでの7時間半ライブを始めとして、毎年形を変えながらも「リリース楽曲全曲披露」を掲げて開催されてきた。
今回は「神宮&秩父宮 シンクロニシティライブ」と銘打たれていたものの、例年通り開催前には全曲披露実施の可否については言及されず。
結果から言えば様々な要因から全曲披露は回避され、「BD=全曲披露」というもはや「常識」とも思えていたものが崩れ落ちた。
この6thBDで全曲披露が行われなかった要因の簡単な整理と、全曲披露を放棄してでもベター解としてBDを開催する意義を考えられればと思う。

なぜ5年間続けた「BD=全曲披露」の構図を運営は放棄したか

もちろん要因は幾らでも考えられるが、可能性の高いものとして考えられるのは主に以下のようなものだろう。
①単純にリリース楽曲数が増えすぎてしまった
②メンバーが多忙になりスケジュールが調整できなくなった
③新規ファンが増え、マイナー楽曲をセットリストに投入するのが困難と判断した
④キャパシティが増えて構成が複雑化し、複数のセットリストを用意できなかった。

①と②はメンバーが暇ならば何日間開催にでも出来るという点でほぼ同義であるが、恐らくは主に①,②と③を含めた複合要因で、総合的に判断して運営は「全曲披露廃止」を決めたものと思われる。

しかしそれでも全曲披露を堅持すべきでは無かったか

「総合的判断」と言えば格好は付くが、デビュー以来5年に渡って続けてきたBDは6年目にして消滅したと言って差し支えないであろう。セットリストを見れば明らかであるが、その内実は通常の夏ツアーや先の東京ドーム公演と何ら変わらない。
乃木坂らしさとして「可愛い子が多い」「ガツガツさが無い」等言われるが、楽曲の良さに惹かれて乃木坂に興味を持ったファンも多いように思われる。
もちろん巷のアーティストを見ればその多くは、古いマイナー曲はほぼ封印に近い扱いで、過去のヒット曲と新曲を中心にライブを構成している。
しかし、乃木坂と言えども全てのライブで全曲披露を行っているわけでは無い。たかだか(されど)年に一度、それもデビュー来5年続けてきた習慣である。
古くから乃木坂に付いているファンとしては、「楽曲の良さ」という乃木坂の良さをある意味で無視し「乃木坂は遂に自分たちからそっぽを向いてしまった」と考える人も居るのでは無いだろうか。

SNSを観ると「今日のセトリめっちゃ良かった!」というような投稿も散見されたが、「BDは毎日構成が違うから可能な限り全日参加」の意気で3日間のチケットを確保した古いファンからすれば、「これが3日間続くのは苦痛」でしか無い。
だからと言ってそういった古いファンがすごすごと乃木坂から離れていくとは考えにくい。何よりライブは楽しいし、メンバーは可愛い。だが、年に一回のイベントに捧げる熱量が大きく下がることは言うまでも無い。
大ヒット商品の裏には、太く長いファンと細く短いファンが共存している。前者はブームが去っても愛着を失わず、言わずもがな後者はブームと共に去っていく。
運営の苦渋の決断ではあろうが、コア層の熱量を削ぐような今回の判断は積極的には支持できない。

せめてもBDらしさは残すべきだった

運営としては、今回の形態でのBD開催がコア層の熱量を下げる結果になることはもちろん分かっていただろう。
ただそれでも、「ベスト」でなく「ベター」の策として今回のBDは開催された。

グループが存続する限り楽曲は無限に増え続ける。そうなれば無限にBDの開催日数を延ばせばいいか、と言えばそれは現実的に不可能である。
―「いずれは全曲披露を止めねばならない時が来る、その時が今だった」
言ってしまえばただそれだけの事であり、いずれ決断しなければいけなかった。
だからと言って今回のライブ、これは、「バースデーライブ」だったのだろうか。
多くの新しいファンからすればライブがあったから来ただけの話で、冠など知ったことはない。
だが、今回のライブは明らかに「ただの一ライブ」である。デビューからの6年間どころか直近1年間をゆっくり振り返る場面もなかった。
先にも書いたが、慣習の軽視は古いファンからすれば熱が冷める大きなきっかけとなり得る。コアファンを失ったグループの未来は明るくない。

余裕のない運営が下した決断は、①東京で②神宮よりさらに大きなキャパで③地方ライブでも使い回せるライブを④BDの名を冠して実施すること、だった。
グループが大所帯化し、メンバー共々運営が多忙なことは重々承知であり、ベター解を探ることは当然のことであろう。
しかし今回行われたBDの著しい一般化は、少しでもマイナー楽曲が聴ければと期待していた身としてはあまりにも酷い内容だった。
これならばBDを冠する必要など全く無く、ただの「真夏の全国ツアー初日」で良かったはずだ。

過去のような全曲披露型BDの再興は無理としても、「バースデーライブ」の意義をぜひ運営には考え直してもらいたい。

ただの感想

秩父宮にて久保ちゃんの元気そうな姿を確認!

今日の一番の収穫は、秩父宮でライブを観に来た久保ちゃんの姿をキャッチ出来たこと!
3期生がMCをしている時にはハンカチで口を覆うような仕草も見えましたが(暗い上に双眼鏡の倍率が低かったので詳しくは分からず)、公演前には一緒にいた今野氏と楽しそうに談笑していたので、現状を詳しくは分かりませんが、笑顔で話をするぐらいの元気は最低でもあるんだなと分かりホッとしました。

北野日奈子、復活?

かれこれ1年近く活動を休止していた2期生の北野日奈子。
少しずつメディアへの露出も増えてきて、今回のライブは出られるのかな~と考えていたんですが、公演が始まると、何事も無かったかのようにステージに佇むきいちゃんの姿が!ボーダーではセンターポジも!
自分の持ってる情報の少ないのかと疑うほどの、平然とした復帰(ライブ中、休止復帰については一切触れられませんでした)。
メンバーも普通だったら触れたい話題でしょうし、恐らく意図的に復帰については触れられなかったんだと思います。
このまま何事もなく、休養前のような、元気なきいちゃんの姿を見られるようになれることを願っています。

秩父宮はライブ適性抜群の素晴らしい会場

僕の座席はアリーナだったのでそれだけでも良かったんですが、秩父宮、思ったよりもかなり狭いです。高さも神宮に比べると驚くほど無いです。
それにステージが8の字状に会場の隅々まで張り巡らされているので、一番悪い席でも神宮のバックネット席ぐらいの充実感は感じられれそうです。
2日目3日目は神宮天空ですが、楽しみます。。

けやき坂46を観てきた。

けやき坂46「走り出す瞬間」ツアー初日、横浜国立大ホール公演を観てきました。
内容に関するネタバレは一切無しで、ざっとの感想を。
感想を簡潔にまとめるならば、
①想像を超える会場の一体感
②大きく躍動するメンバーたち
③「プロ」とは思えない初日に対する取組(悪い意味で) の3本。

トータルでの感想としては、幸福感たっぷりのとても素晴らしいライブだったなと思います!
次のツアーを観に行くのがいまから楽しみです。

想像を超える会場の一体感

先に書いたように幸福感たっぷりのとても素晴らしい公演でしたが、その一因になったなと思うのは、想像以上のオーディエンスとメンバーとの一体感。
ホールの作りが良いおかげでコールの声が会場全体に回ってたのもあるとは思うんですが、けやき坂としての初めてのツアーとは思えないぐらいに、観客の空気を読む能力(ここはこういうコール!とか)が高い!
なんと言ってもほとんどの楽曲が初披露でコールも出来上がっていない中で、1番では上手く行かなかったコールが2番になるとスッとハマるんです。
メンバーもMCで「初めての披露なのにコールがすごい!嬉しい!」と言ってましたが、コールを作り出そうとする空気感、そしてコールがハマったときの会場の一体感が凄く気持ちよかったです。
音の回りが良いのもあってメンバーにもコールはよく聞こえていたように思いますし、それもあってメンバーのパフォーマンスがよりイキイキ、ノビノビしたものになっていたようにも感じました。

 

大きく躍動するメンバーたち

欅坂と対照的に意識的に「happy」を打ち出しているけやき坂ですが、そのスローガンをを体現するようなメンバーの躍動を強く感じました。
座席が1階席30列以内と近かったこともあったかもしれませんが、メンバーのリズミカルな、イキイキしたダンスが強く印象に残っています。
3階席からだと武道館の天空よりも酷いような距離感ではありますが、それでもメンバーの、指先足先まで全身をノビノビと使った表現、その思いは届いたのではないかなと思います。
それと、個々メンバーの表現力だけではなく、演出もメンバーの姿をを大きく見せるのにとても効果的だったように感じます。
ステージ上を走り回ったりだの、「静を活かす」というよりも「動」を積極的に詰め込んでいく演出が印象的で、それによって明るさをより感じたようにも思いました。

 

「プロ」とは思えない初日に対する取組

これは悪かった点。演出に関してと、メンバーに関する2点。
演出に関しては、ステージモニターを使った映像演出がが有料公演とは到底思えないほどのずさんさ(そのへんの大学祭の方がまだマシ)。
ゲネプロをやったのだとしたら、その時点で修正を加えようとは思わなかったのか、なぜあのずさんな映像演出をそのまま使おうと思ったのか全く理解ができない。
「昨晩いきなり発注が来たんで、徹夜で作りました!!」みたいなクオリティー。今後の公演で改善していくんでしょうが、プロの仕事とは思えない。

もう一点はメンバーに関して。
とにかく、振りの入りが悪い。新曲に関しては、全員の振りがピタッと揃うことはまず無し。振りが間違っていなかったとしても、どことなく自信のなさがにじみ出てました。
ドルオタとしては「そういう一面も観られてよかった」となる訳で僕もそう思いましたが(笑)、だからといって許される話ではないなと。
素人ながらもバンドをやっていた身として、一つの公演に10曲以上も新曲を仕込むのが物凄く大変なのはよく分かります。
ただ、まだまだ若い女の子達とは言っても「プロ」なんだから、初日に100%、千秋楽に200%を目指すような取り組みをして欲しいものだなと個人的には。
このまま生半可に取り組んで千秋楽で100%を出すことができても、ファンは許すでしょうが彼女たちのためにはならないと思います。
 

おわり

最後に偉そうなことを書きましたが、ともかくもいいライブでした!!
本編終了後に「まだまだ観足りない!」と思わせない(本編だけでも満足できる)ライブっていうのが最高の公演だと個人的には思ってるんですが、今回のライブは「もう心は満ち足りたのでアンコール無しで帰りたい!」と思わせるようなライブでした。
ほとんど知っている曲が無い中でもこれだけの満足感を得られことを考えると、内容や会場の空気感がとても良かったんだなと思います。

末筆ながら、これから「走り出す瞬間」公演を見に行く皆さん。楽しんできてください。とても楽しいです!!
 

東京ドーム公演から考えるONE OK ROCKの現在地と未来図

昨日4月4日の東京ドーム公演を観てきたので、観ながら考えたことを少し。ライブレポートと言うよりも、TakaのMCから考えたONE OK ROCKの過去と現在と未来について書こうと思います。

まずは、少しく前置きを。そもそも今回ライブを観に行くことに決めたのは、「いい加減ワンオクに区切りを付けよう」という動機から。高校生の頃(5,6年前)は頻繁に聴いていたONE OK ROCKですが、最近はアルバムをiTunesで買いはするものの、その度に個人的な感想は「うーん、なんかいまいち」といった感じ。ドイツ留学中にヨーロッパ公演があれば良かったんですがそれも無く、「これでワンオクは最後!」と踏ん切りを付けられずにいました。
前回ワンオクを観たのはAll Time Lowとのスプリットツアーで、これもどちらかと言えばATLを観に行った部分が大きかったので、やはり最後にはワンマンを観たかった。

で、白羽の矢が立ったのが今回のライブ。僕が聴いていた頃のツアーはZepp2Days +新木場みたいなキャパシティだったので、ドーム2Daysに感慨深さもありつつ、これが最後ならいい区切りにもなるだろう、と。

やっとここから本題ですが、今回はライブレポートどうこうではなく、ONE OK ROCKの現在の立ち位置と、今後進んでいく道についてライブ中に考えたことを書こうと思います。

※TakaのMCの内容は、ニュアンスを捉えただけで一言一句同じではないです。ご了承ください。

まずはTakaがMCで言っていた、「ONE OK ROCKはみんなが思うよりも険しい道にいると思う。ヒット映画のエピソード2を作るが難しいのと同じように、たくさんの期待を背負って作品を作ることはとても難しい。」という言葉について。
ワンオクの楽曲を聴く人は世界中に何万何十万何百万と居て、リリースされる楽曲への期待値が高いことは言わずもがなです。ですが過去のリリース作品をまじまじと振り返ってみると、「ワンオクらしさって、なに?」と改めて思う方が多いかと思います。例えに東京ドームでワンマンを行うようなアーティストを挙げれば、ミスチルには「ミスチルらしさ」があり、B’zには「B’zらしさ」が、Perfumeには「Perfumeらしさ」があるように思います。
確かにONE OK ROCKもロックバンドであり、軸にあるものはロックです。ですが1stアルバム『ゼイタクビョウ』と最新アルバム『Ambition』を比べればその差は歴然。歌い回しから曲の構成、サウンドメイクまで何から何からが違います(なんならメンバー構成も違う)。この間ほんの10年。未だに「ワンオクらしさ」が見つからない中で東京ドームという最大キャパシティまで来てしまった。先に挙げたようなアーティストならば、ミスチルならば「ミスチルらしい曲」を。B’zならば「B’zのような曲」をリリースすれば、ファンの大多数は満足します。なぜならその「らしさ」に惹かれてそのアーティストを応援している部分が多分にあるからです(あくまで仮説ですが)。
じゃあワンオクはどうしたら良い?と言えば、最近ファンになった人は『Change』『We are』のようなポップサウンドも取り入れた楽曲に満足するでしょうし、一方で僕は『Nicheシンドローム』のようなアルバムがまた出たら面白いなと思っている。
つまり言いたいことは、ONE OK ROCKのファンは「ワンオクらしさ」に惹かれているのでは無いのではないか?という事です。そう考えれば、Takaの言っていた「期待に応えるのは難しい」という点とも符号性があります。

ではファンはONE OK ROCKの何に惹かれているのか?と言えば、僕はTakaのカリスマ性、ONE OK ROCKがバンドとして持っているストーリー性の2点ではないかと考えました。
急に分析的でなくなりますが、先にまず挙げたのはTakaについて。僕がワンオクで好きなのは2010年代前半のパンクな楽曲たちですが、今でも最新リリースを追い掛けますし、ライブも行ってみたいなぁと思います。昨日ライブを観ていて思ったのは、古い楽曲も多くのワンオクファンに愛されているという事。キャパシティの拡大スピードを考えれば、現在のワンオクファンの多くの入り口は『人生×僕=』以降だったのでは無いかと思います。それでも昨日のライブでは『内秘心書』と『努努』のアコースティックに会場全体が湧き、『未完成交響曲』『キミシダイ列車』『Wherever you are』『Nobody’s home』といった、アルバム『残響リファレンス』以前の楽曲にも大きな歓声が上がっていました。
この様子を見て確信したのは、ワンオクファンが追っているものは「ワンオクらしさ」ではなく、彼らが創り上げてきた過去を含めた「ONE OK ROCK」なのでは無いか、という事です。つまり、他の有名アーティストが持っているような「〇〇らしさ」でなく、ONE OK ROCKそのものが好きなのでは?ということです。ではなぜONE OK ROCKを過去へ未来へと追いかけたくなるかと言えば、ようやく先の部分に話が戻ってきましたが、Takaの人柄であったり包容力といった、一言でまとめれば「カリスマ性」という部分だと思います。
いつライブを観に行っても前向きで、よくMCで口にするのは「辛くなったらまた遊びに来いよ」。それに言葉が正直で、そこに惹かれる人も多いだろうと思います(昨日のライブでは「ドームツアーやって、次に目指す場所ってどこなんだよーと思うこともある」と言ってました)。それにTaka自身が持っている、『Nobody`s home』に表現されているような家族のエピソードや、過去の悪行などの(劇的な)ストーリー性。Takaを形作っている過去の出来事と、現在の立ち居振る舞いは、バンドそのものを応援したくなる要素としてかなり大きいのではないかと思います。
それともう一点挙げたのは、ONE OK ROCKのストーリー性。「親の七光り」と言われたく無いからとメディアには殆ど露出せず、その中でもこの大成功。それでいながら「挑戦し続けるか止めるかの2択」という発言を見せるなど、決して現在の地位に安住することのないバンドの姿勢とその儚さ。などなど。
人が物事に魅力を感じるポイントは百人いれば百あるので挙げればきりがないですが、ONE OK ROCKが持っている儚さといいますか、何といいますか、ともかくも、人を魅了する点がすごく多くてそのどれもが効果的だなと感じます。

この事を考えると、Takaは「ワンオクは険しい道に居る」と言っていましたが、未来はそう暗く無いのではないかと個人的には思います。昨日のどこかのMCでTakaが、「(ONE OK ROCKは)ここまで来ちゃえば挑戦し続けるか諦めてやめるかの2択」と言っていました。過去10年間でこれだけ変化を遂げてきて、未だにバンドは変化を続けています。となれば、本人の口から出たように、「もう挑戦し続けることは出来ない、全てを出し切った」という日が来るまで、ONE OK ROCKは挑戦を続け変化し続けると思います。
バンドが活動を続けるにはもちろんファンの存在が必須ですが、未だに「らしさ」を確立していないワンオクを応援している現在のファンが、今後のONE OK ROCKの挑戦・変化に拒絶反応を起こすとは思えません。
それに昨日の本編終盤でColdrain、Cossfaith、SiMのボーカルがゲストで出てきましたが、ライブ全体の中でこの瞬間の歓声が一番大きかったんです(Takaの声が聞こえずに、誰が出てきたのか分からなかったほど)。それぐらいワンオクを取り巻く環境全体を、ひいてはロックを愛している懐の深いファンが多いことが分かったので、より強く、彼ら(僕も含めてですが)ファンがONE OK ROCKから離れていくことはそう無いだろうと確信しました。

最後に分かりやすくまとめると。
・「ワンオクらしさ」は未だに存在せず、バンドは現在も進化・変化を進めている
・バンドの持つ「らしさ」でなく、ONE OK ROCKそのものに惹かれているファンが多い
・また、音楽を愛している、懐の深いファンが多い
・そのため、TakaのMCからも分かるようにONE OK ROCKはこれからも挑戦(変化)を続けていくであろうが、ファンが離れていくことは無いだろう
ということです。

MCで「そろそろバンドの第一章を終わらせて第二章を始める時が来た気がしている」と言っていましたが、これまでの目まぐるしい変化の期間を第一章として、第二章では「ワンオクらしさ」というものを確立していくのではないかと思います。
ここまで読んできていただいてアレですが、あくまで一ファンの譫言(うわごと)ですので、「そういう風にバンドの今後を見ていくのも面白いかもね」程度に読んで頂けたら幸いです。
こんな駄文を最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

「僕たちと、未来をやり直してくれませんか」flumpool Re:imageライブレポート

久しぶりにflumpoolのライブを見てきました。昨年のEGGのリリースツアーぶり。
ベビメタやらWEAVERの記事を書いた時には、「こいつはレッチリファンだ」だの「1回ライブ観たぐらいで調子乗るな」等々厳しいご意見を頂きましたが、flumpoolはファン歴も長いので、自信を持って厳しいことを書こうと思います。

結論から言えば、泣きました。メンバーの言葉、セットリスト、メッセージ性。それら全てに込められてた思いと、flumpoolと共にした、ファンとしての約9年間が共鳴したような感覚。
10周年を目前にしたメンバーの思いがMCを通じて語られ、その言葉を聞いた上で聴く中盤のセットリスト。「素晴らしい」で片付けるには惜しいぐらい、flumpoolの、バンドとしての実力の高まりを感じました。

なんと言いますか、心動かされたのは圧倒的に中盤戦からで、言及したいのもそこなので、序盤の話はサクッと。
オープニングがあってから、1曲目は「World Beats」で会場の熱を一気に上げます。2,3曲目も、「星に願いを」→「夏Dive!」とキラーチューンをドドンと投下。隆太くんの声がずいぶん不安定で、観客としても、そちらに気が行ってしまって盛り上がり切れないような雰囲気。最後までずっと声は戻りませんでしたが、ライブが進むにつれて没入感が高まって、声のことは最終的には全く気にならなくなりました。
MCを挟んで、「WINNER」「DILEMMA」「two of us」。「DILEMMA」はEGGツアーで披露が無かったので(確か)、ようやく生で。
MCで「最近の僕たちの曲をやりますけど、付いてきてね」との言葉から、「絶体絶命!!」「夜は眠れるかい」「FREE YOUR MIND」「ラストコール」。EGGツアーの「絶体絶命!!」の演出が好きだったので、映像演出が無いのに少し寂しさを感じつつ。

そして問題はここから。まずは重めのMC。一言一句同じではないですが、こんな感じの内容。
「僕たちは来年で、デビュー10周年を迎えます。バンドがそんなに長続きすることなんてなかなかない時代で、10年も続けられたなんて、本当にありがたいことです。ありがとう。」
「でもその一方で、驕り(おごり)かもしれないけど、10周年を迎えるバンドっていうのは、もっと大きい会場を回って、誰もが知ってる代表曲があって、、そういう姿を想像していました。」
「だけど現実、僕たちはそういう場所には居ません。だからと言って、過去は変えられません。 だけど僕らには未来があるし、まだまだ(そういうバンドになれる)可能性はあると思ってます。」
「だから、僕らと一緒に、未来をやり直してもらえませんか?」
というもの。
10周年でハッピーですで終わるかと思ったMCが一転、最後の言葉は「僕らと未来をやり直してくれませんか?」。
flumpoolを好きになって、クアトロ、ホールツアー、武道館、横浜アリーナ、さいたまアリーナとあっという間に広がって行ったキャパシティ。けれどさいたまアリーナを超える会場には辿り着くことが出来ず、ファンとしても、「flumpoolはこれ以上伸びないのか。。」とやきもきしていた部分がいくらかありました。
ファン心理としての大きい会場への憧れを忘れていたこのタイミングで、10周年を機に、メンバーから吐露された想い。
メンバーも同じような事を考えて、苦しんでいたんだなと初めて気がつきました。

そんな中で次の楽曲は、「花になれ」。
デビュー曲だった、この、提供曲の「花になれ」。曲を作っていたことに対する自信を打ち砕かれ、悔しかったと語っていたこの楽曲。flumpoolがデビューするにあたって、メンバーがぶつかった一番初めの大きな壁がこの「花になれ」だったはずです。
「10年後ぼくにこの歌を捧げよう」「まだ蕾のまま光のさす場所をずっと探してる」「どこまで行けば笑いあえるの?」
百田留衣さん詞曲の「花になれ」。百田さんがプロデューサーを外れた後の対談で「花になれを超える楽曲を作ってみせます!」と語っていたメンバー。
先のMCを見ればわかりますが、メンバーとしては、「花になれ」を超える楽曲はこの10年で作れなかった、というのが正直なところだと思います。その悔しさを抱えながら、噛みしめるように奏でられる「花になれ」。
そして次は、「僕はここにいる」。
Fantasia of Life Stripeに収録されているカップリング曲で、知名度自体はそれほど高くない楽曲。それでも、「花になれ」の歌詞に呼応するかのような、MCでの宣言をそのまま写し出したような歌詞。
「今 僕は此処にいる
道なき道をゆく いつだって限界を感じてきたけど
未来にも 僕はいて その自分に限界なんて 微塵も感じないから
揺るがない希望を 抱いて」
そして、続いては「ナミダリセット」。
ドイツ留学中にリリースされたこともあって正直そこまで聴き込んでいなかったんですが、こんなにいい曲だったのか、と。歌詞に耳を傾けながら聴いていると、もう既に溢れていた涙がより一層。
最後は「reboot〜あきらめない詩〜」。
自分がflumpoolで一番好きな楽曲。ポリープ手術のタイミングでリリースされた曲で、まだまだreboot(再起動)して行ける、rebootして行こう!というメッセージが込められています。花になれ、僕はここにいる、ナミダリセットの3曲でしっとりしているところを一気に盛り上げる、素晴らしい選曲でした。flumpoolも、こんなに力強いセットリストが組めるようになったんだなと、感心してしまいました。

その後は、いつも通りの終盤戦。相変わらず隆太くんは調子が悪そうでしたが、感情がすっかり入ってしまっていたので、個人的にはほとんど気になりませんでした。

なんだか冗長な文章にはなりましたが、中盤のMCからの4曲が本当に魅力的だったので、自分で見返すためもありますが、文字に起こすことが出来て良かったです。

9年ものあいだずっと大好きなflumpoolです。どれほど復帰まで掛かるのか分かりませんが、気長に待とうと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。